【”お幸せに”は新郎新婦だけのものですか?】

   私には恋人がいないし、しばらくできそうにもない。しかし、恋人がいなくてもそれ以外の人間関係は非常に充実していてとても楽しく日々を過ごしている。これは決して負け惜しみではない。

   とは言っても、私ももう22歳である。早いかもしれないが、少しずつ結婚を意識しつつある。そんな中、1つの疑問を抱くようになった。

   それは、結婚が一番の幸せなのか、ということである。

   以前私は冗談混じりで、母親に「もし私が結婚できなくて、そしたら孫の顔は見れないけど、それでも失望しない?」と尋ねた。すると母は、「何も結婚だけが幸せじゃない。あなたが社会人として自立できていて幸せならそれでいい」と言葉をかけてくれた。そのとき、母親の言葉に感激すると同時に、無意識のうちに幸せを結婚と結びつけている自分に気がついたのである。

   結婚とは、平たく言えば自分が一番愛する人と一緒に暮らすということだ。”結婚は人生の墓場”という表現もよく耳にするが、それでも自分が愛する人と時間を共にできるのだから、相手への気持ちがある限りそれは素晴らしいことに違いない。

   しかし、何も結婚”だけ”が幸せとは限らないのではないか。

   例えば、愛する(≒大好きな)人と時間を共にできることがよいのだと言うなら、大好きで心が通じ合っている友達と一生シェアハウスをして暮らしていく、ということだって本人達からすれば最高の”幸せ”であるはずだ。それでも、結婚ではなくそのような決断をした彼らもしくは彼女らに対して、“お幸せに”という人はほとんどいないだろう。あるいは、誰かと一緒に生活する人生は選ばず、自分の仕事や趣味に生きていくという決断をする人だって世の中にはいる。そのような人達も、世間から批判こそされないが、祝福されるということもおそらくないだろう。

   このような書き方をしてきたが、私は決して結婚を否定しているわけではない。第一、両親が結婚してくれたから自分は生まれてくることができたし、今までに出席させていただいた結婚式では、新郎新婦はこれ以上ないほど幸せそうな表情をしていた。

   日本の世の中には未だに結婚を一番の幸せと見なす風潮がある(気がする)。これは、日本の少子高齢化社会が背景にあって、結婚しなければ子供を儲けることができないという事情があるためにある意味仕方ないかもしれない。それでも、人間には当然自分の人生を自由に生きる権利があるのだから、各人がどんな選択をしてどのような人生を歩んだとしても、それは(人に迷惑をかけない限りは)結婚と同等に祝福されるべきなのではないか。 

   日本の社会はまだ、どんな人生にも無条件に”お幸せに”と言えるほど優しくないのかもしれない。